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ホタテバーガー☆ミ

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高松凌雲

~高松凌雲~

幕臣。将軍侍医。蝦夷共和国病院頭取
「医者に敵も味方もない、あるのは患者だけだ」赤十字の精神を貫いた医師、高松凌雲。

筑後久留米藩の郷士高松与吉の三男。
久留米藩陪臣の養子となるが脱藩。江戸にいる兄、勝次(古屋佐久左衛門)をたより蘭学を学び、更に全国に名の知られた緒方洪庵の「適塾」で医学を学ぶ。(大鳥さんと一緒だ…)

慶応元年に一橋家に召抱えられ、翌2年に一橋家当主慶喜が将軍になると共に奥詰医師に。
慶応3年に徳川昭武(慶喜の弟)を代表とする幕府外交官の1人としてヨーロッパに留学。
そこで医学はもちろん、赤十字の精神や医師の本来あるべき姿を学んだ。
しかし日本での幕府軍の敗報を聞き急遽帰国。
榎本ら脱走軍とともに蝦夷地へ。

蝦夷地では傷を負った兵士達の治療に務めた。
 
この当時日本では傷病兵といえど、敵兵は皆殺されていた
しかし欧州で医術を学び赤十字の存在を知った彼は捕虜達の手当て、をし青森に送り返した。

明治2年5月11日。箱館総攻撃の時、乱入してきた新政府軍の前に立ちはだかり負傷者を守った。その毅然とした態度に薩摩藩士らは乱暴をやめ引き揚げていったという。

医師として戦争の虚しさを痛感したのか榎本に降伏を勧める書状を書き送り、明治2年5月18日戦争終結。
入院患者の治療などもあり、8月に入ってから東京に送られた。

阿波藩に預けられ翌年に放免されたが新政府には出仕せず、同愛社を設立。生涯を救療活動にささげた。

大正5年10月12日永眠。80歳
お墓は谷中霊園にありますが、碑が円通寺にあります


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